豊田の家

築年数が約135年の民家改修工事。
主屋は桁行十間、妻行五間のつし二階建て、燻の和形桟瓦葺きの大きな住宅です。小屋組みは珍しい扠首(さす)が掛けられていますが、合掌組ではありません。
このたびの工事では、間取りの変更の他に耐震改修、断熱改修、二階を居室にするなどの主屋全体の改修が主な工事です。
地盤の沈下に伴い、半数以上の柱を引き揚げ、水平を復旧させる大改修です。
設計 FRONT design
施工 伏見建築事務所
材木納材 吉田製材株式会社


工事中


平成30年2月24日

座敷は上塗りの左官工が終わりました。

その他の内装の下地は乾式の為、石膏ボード張りの上、壁紙を張ります。

下地の処理も施され、いよいよ仕上げです。


平成30年1月20日

玄関横の腰板張は鎧張り(よろいばり)です。柱脚は腐食をしており、隠れていたところは強度が乏しくなっていました。鎧張りを残しながら柱の根継ぎをします。金輪継ぎ(かなわつぎ)を施したいのですが、取り付いている腰壁が痛まないようにすることと、鉛直方向に柱を抑揚できないことを理由に、追っ掛け栓継ぎ(おっかけせんつぎ)にしました。

腐食部分のみを補修することにより、一本の柱を取り換えることに要する時間と費用が、かなり抑えられます。もちろん柱の強度も心配はありません。


平成29年12月20日

座敷の壁は荒壁土塗の上に中塗も土です。中塗りは2回施しています。上塗りには砂漆喰(砂を混ぜた漆喰)を面直し(つらなおし)と仕上げの漆喰の食いつきを保つ意味で薄塗りします。そして、いよいよ上塗りです。

この度は、塗り替えの為、既存の上塗りを剥離し、面直しをして、仕上げます。


平成29年11月20日

耐震性能の診断は、限界耐力法と呼ばれるもので検討されました。

既存の竹小舞の上に塗られた土壁が、耐力壁として計算されましたが、壁の配置においての不足や、つり合いの取れていないところの補足には、新設の間仕切りに合わせて耐力壁を配していく設計がされました。

改めて竹小舞の上に土塗を施すところと、既製品の土塗壁(荒壁パネル)を施すところに分けて設計がされました。

荒壁パネルは井桁に組んだ木製の下地に釘で留め付け、左官塗が可能な材料です。

荒壁パネルの継ぎ目は寒冷紗や網目状の継ぎ目処理材を張り付け、石膏系の中塗り材で下地処理をします。その上の仕上げは、左官材料で何れのものでも施せます。この部分は漆喰塗です。


平成29年10月15日

1階の奥に配された既存の八畳の間は、本床の間に加え、縁側には付け書院が張り出した、竿縁天井の立派な座敷でした。

床の不陸を改修する際には、柱の足元でその高さを調整するため、工事の時の仮設資材や、基礎の打設に妨げになる床組は全て取り払いましたが、天井は板のみを撤去し、新しい天井板で復旧をします。

昔の仕事と同様な施し様ですが、その時に使う道具はやや進歩しています。


平成29年9月28日

内部は新しい間仕切りで部屋の割り付けが終わり、特に二階は大きな空間であったところが、個室として生まれ変わります。つし二階の階層構造だったので、軒桁は部屋としての高さにするとやや低く、水平の天井にすると、居室としては機能しないので、棟に向かって高くなっていく勾配天井で設計されました。

屋根からの熱や冷気は天井の上で、硝子繊維系の高性能断熱材(マグオランジュ)を敷き詰め、熱の行き来を妨げます。

壁は、土壁の特性として、湿気の行き来を妨げずに断熱性能を発揮する羊毛と化学繊維の合成された断熱材(ウールブレス)を施します。湿気の行き来を妨げないとは、高湿度の時期には土が湿気を吸収し、乾燥する時期にそれを吐き出すことを指します。

既存建物の状態から比べると、その断熱性能は格段に向上されるものと想像できます。ただし、気密性能に関しては、前述の土壁の特性を活かすため、このような土塗の家には考慮しないのが良案のようです。


平成29年8月26日

既存建物の外壁の仕上げは、漆喰塗りでした。通りに面した部分は黒漆喰が塗られていましたが、今回の改修では、白漆喰塗で仕上げます。

竹の小舞の上には藁(わら)をすさにした、この近辺の粘土が荒壁として下塗りがされ、次にはもう少し細いすさとして、麻などが混ぜて練られた土で中塗りをしています。

黒漆喰を剥離し、砂を混ぜた漆喰で中塗り下地で、仕上げ面を均し、漆喰で仕上げます。

漆喰には「つのまた」と呼ばれる海藻からつくられた糊を混ぜます。これは、左官職人が、上塗りを鏝で均す時に程よく鏝が滑るように、塗り付ける面の状態に合わせて配合します。経験と勘の見せ所です。


平成29年7月25日

内部は床の下地や間仕切りが施され、構造体が固まりつつあります。

軸組みの耐震性は、伝統的な構法により、従前の土塗壁がそのまま耐力壁として効果を発揮しますが、断熱性は工場製造品に頼ります。

開口部分は鋼製建具を建て込み、硝子は複層(二重)のものをはめ込んでいます。

床下には発泡樹脂押出型の断熱材を、天井の上には綿状硝子繊維のものを、壁には羊毛の断熱材を敷き均し、室内の保温性を助けてもらおうと設計されました。

壁の塗土は、蓄熱性は少しはあるものの、断熱の性能は発揮しないので、壁にも断熱材が必要です。

そもそもは、解放された屋内であれば、外気温と同じであることは納得できます。夏は暑い、冬は寒いものです。しかし、夏は太陽の位置が高角度なので、屋根の瓦が焼け、その熱が天井を通り抜け、特に二階の室内にそのまま高温にさらします。そこを屋根の下、天井の上で少しでも軽減させる考えです。冬は床下と外壁面から冷気を感じます。最も熱の貫流が見られるのは開口部です。外部に面した建具の断熱性能を上げることで、少しでも「暑い」「寒い」が改善されると喜ばれます。

伝統的な構法で建築された民家の存続で危惧されることは、このような温熱環境の不備により、住まれなくなったり、取り壊しに至ることです。

この度の様に、構造体の材料や外観の意匠が代々受け継がれた家は、安全で居心地の良い機能を保ちながら、次の世代に活用されることが大切だと思います。特に住まいとして、その空間に集う親族がいつまでも。


平成29年6月30日

屋根の葺き替えが終わりました。

地瓦(じがわら)は和形(わがた)の桟瓦(さんがわら)で、軒先は饅頭軒瓦(まんじゅうのきかわら)です。木製の横桟(よこさん)、縦桟(たてさん)を割り付けた下地に錆びないねじ釘によって、留め付けます。

基本的に葺き土(ふきつち)は載せませんので、建物全体の重さは相当量の軽減化が図れます。

大屋根(おおやね)の棟(むね)には、台熨斗(だいのし)を二段構え(にだんかまえ)に積み、その上に熨斗瓦(のしかわら)を八段(はちだん)積み上げます。そして一番上に雁振瓦(がんぶりがわら)をのせて、どっしりとした屋根の構えが復活しました。地割(じわり)のしわ寄せは紐丸瓦(ひもまるかわら)で調整をして、下り(くだり)の棟の部分は、素丸瓦(すまるかわら)の上に熨斗瓦(のしがわら)を積み上げます。隅の上にも同じく熨斗瓦を積み上げ、それぞれの軒先には鬼瓦(おにがわら)を配した上に、従前の様に鳥衾(とりぶすま)を掲げて、周囲に調和をした重厚な趣を維持しています。巴瓦(ともえがわら)も縁起物の鶴亀が飾られています。

鬼瓦(おにがわら)は既存の屋根に飾ってあったものを、焼き直してもらいました。これは再度、燻す(いぶす)ことによって、装いを改めることと、瓦の長寿命化が期待できます。

焼き直した鬼瓦は、主に七福神でした。もともと鎮座していたのは、恵比寿、大黒天、福禄寿、そして、翁。縁起の文字は「宝」や「水」、形としては「立浪(たつなみ)」などです。数個の鬼瓦を補足することになり、布袋、弁財天、毘沙門天を新調しました。先人が施した折には家人と相談をして、様々な思いを込めて、そこへ納められたのだと想像できます。これらの鬼瓦は雨や風、火などの災い事を避け、幸いを願い、祈るように屋根の上から見守っています。


平成29年5月30日

軸組みを改修する部分があります。主屋の西の端に風呂、便所、洗面などの水廻りが増築されていたところを、廊下として復旧します。

 

この建物全体の耐震性は、構造設計者に「限界耐力計算法」で確かめてもらいました。これは、現行の在来軸組み構法で建築された建物の様に、引き寄せ金物などを使わず、貫、竹小舞、土塗などにより、耐力壁を配した建物の耐震性を確保できていることを確かめる方法です。阪神淡路大震災以後、特に否定をされていた伝統的な構法が見直されことにより、耐震性が乏しいと言って失われることなく存続が出来、そして、新設が可能であることを証明されたありがたい計算方法です。

 

貫、竹小舞、土塗により、耐力壁として計算された部分の木部、竹は新調しました。土は、つし二階から下した土をわらのすさを足して練り返し、壁として塗りなおして戻してあげました。


平成29年4月15日

民家の改修に欠かせないのが、屋根の部分です。

屋根葺き材の葺き替えとともに、野地の点検をし、傷んでいる部分は取り換えをします。

この度の野地は小幅板や化粧板など数種類の部材とその施し様が見受けられました。

一部に、竹の上に杉皮を敷き込んで、桧の小幅板が打ち付けてあり、当時として、調達ができる材料を上手く利用した工夫が見受けられます。

破風板の取り換えはこの際という時にしかできないので、後々のことを考慮し、屋根の改修の折には出来るだけ施すようにしています。


平成29年3月17日

久々の建物扛重機が出番です。中央の柱の軸荷重は計算上、約五屯から七屯程度だそうです。

柱の持ち上げには、一台当たり、約四屯を持ち上げる扛重機を、三台から四台で徐々に上げていきます。

全部で大小、二十本くらいを、一本につき五分くらいずつ揚げていき、柱の下に敷きものを繰り返し、すべての柱の突き上げを三順廻ると、ほぼ水平になりました。
そこから、底盤が三尺三寸角で厚みは増し打ち共で七寸から尺までの独立基礎で受けます。配筋は三分の異形を上下に配し、間隔は七寸までの空き寸法です。
打ち込み後は約二週間、約二分ほど浮かしたまま養生です。宙ぶらりんの状態が続くのがすこし心配です。

柱脚の鉛を敷き込むのは、基礎の天端の少しの凹凸と柱の底をなじませるためです。

脱型枠の後も二週間の養生機関の間は柱を突き上げておきます。


平成29年3月6日

床組を撤去し、柱の足元を表します。

水平は鴨居の内法高さを基準にします。

 

最大で二寸、主に座敷の中央の最も荷重がかかる柱の沈下が顕著でした。

 

現況を構造設計者に確認してもらい、独立基礎にするのかも含めて、底盤の構造を設計していただきます。

 

同時に棟の熨斗瓦と葺き土の一部を撤去して、柱を突き上げる準備にかかります。


平成29年2月27日

つし二階はささら梁とささら天井を残して、撤去されました。

一階の天井も張り上げのところは撤去します。

 

ここで竿縁の吊り木に竹が用いられていることに気が付き、撤去した吊木と竿縁を見ると、送り蟻の細工が施してありました。繊細で大胆な仕事だと思います。

 

虫籠窓の鋼製建具が立て込む予定のところは撤去され、一階からの明りも入り込みずいぶん明るくなりました。


平成29年2月20日

建物の軽量化と柱脚の水平引き上げのため、つし二階に敷き詰めてある土を下します。

土の厚みは二寸強、手でめくり、袋詰めをした後、電動滑車でつりさげます。

土の下地は麦わらを敷き詰め、竹で座が拵えてありました。

根太は二寸丸太が二尺間隔で渡してあり、ささら梁は丈間を二つ割の五尺間隔です。

これだけの土をよく揚げたものです。それこそ、昔は全てが手作業です。


平成29年2月15日

座敷は六間取り、玄関から中庭には通り土間が抜けています。

座敷の反対側に台所と応接間があり、風呂と便所は外の建物で、典型的な民家住宅です。

内部の建具を取り払い、柱を突き上げるために、まずは荷を軽くします。