地域とのつながりとその担い手

 新建築家技術者集団 奈良支部 伏見康司

 

薄れゆく存在

 拠点としている事務所や作業場から現場までの移動距離が遠くなったと感じる。平成の初めごろは、半時間程度で現場を行き来出来たものだ。

 当時のお隣さん同士の立ち話では、「私の家はあそこの○○工務店に建ててもらった。」「うちの家はそこの△△建築に改修してもらう。」などと聞いた。工務店の名はその辺りでのみ周知された屋号である。この会話の中に、地域社会で完結した住宅建築に対する関わり合いが聞き取れる。

 昭和四十六年に市制施行された生駒市は、大阪府からは条件の整った通勤圏内にあり、宅地の造成と共に急速に人口が増えた町である。開発地と開発地の間には田園風景が残り、良好な環境の中にはそれに携わった住宅供給会社と共に、地域に溶け込んだ家の世話役が存在していたのである。

 看板を揚げていた工務店は、代替わりや景気の衰退と共に幕を閉じ、そこで腕を奮っていた大工たちは、年間を通して仕事がもらえる大手の住宅供給会社を転々とし、一人親方として生計を立てるようになった。そこでは大工としての技量は問われない。全国でも名の通った会社にお世話になると、受注先も広範囲にわたりおのずと現場は遠くなる。工務店の拠点が無くなるのと同時に大工の存在も薄れていく。

 新興住宅地域内では、大規模な改修工事を見る機会が減った。私が子どものころは、増築や改築を施している民家を、外で遊ぶ傍ら目にしてきた。そこで働く大工や左官の背中は、自分たちが就職するときに、どんな仕事に就こうかと、数多く並べられた選択肢の一つにもなり得たものだ。今の時代にはこの建築に携わる職人という就職先は、最終学歴の斡旋には上がってこない。

地域社会に頼りにされる職人の育成

 普通科を卒業した当社の社員であり、大工の高校新卒生はやがて丸四年を勤め上げる。建築の「け」の字も解らずにこの業界に引きずり込まれた身ではあるが、ずっとやりがいを持って望んでくれている。彼が三年目に入るときに、建築学科を卒業する専門学校生と工業高校生が就職してくれたことも追い風になったことだろう。振り返ると後発の大工たちは直ぐ後ろから走り始めたので、抜かれまいと必死で前を行く。後輩たちも付かず離れず後を追ってくれている。三人とも与えられた仕事をこなせるようになった後は、社会人として信頼され、この道で活躍ができるようになってほしい。

 大手に家を任せると、いつも同じ会社から訪ねて来てくれるが、その顔は入れ代わり立ち代わりである。人格を頼りにするというよりは、そういう会社に委ねたのだから仕方がない。近くに掲がっている工務店の看板は、地域との繋がりや関わり合いが薄く、目には留まるが心に馴染まない。近所に職人がいたとしてもその居場所を知らないのである。

 次世代の担い手たちが、地域に対してその存在の周知とともに、家の事で頼りにされるようにならないといけない。そこに根付いた仕事を続けるには、一人の人間として、地域の人との良好な関係を築くことだと考える。

多様な成果を期待する取り組み

 設立十年の当社の現在の受注状況は、お施主様から施工を願われて請け負うより、設計者から依頼される割合が多くなってきた。住宅の計画段階から施工に至るまでの経緯が、一昔前から変わってきたように思う。とは言え、手がけた家の世話をすることには変わりはない。

 「地元」での仕事を確保するとともに、維持保全に向けた関わり合いを強く築くための手段として実践しようと考えた。定期点検を実施するお施主様との日程調整の郵便に同封したのは、八月の最終日曜日に親と子が協働で作るものを、我が社の大工達が横で手助けをするという企画である。夏休みの宿題や親と子の思い出作りも手助けする。手紙には「ご近所の知人やそのお子様もお誘いあわせの上、お越しください。」と書き添えた。

 当日は午前と午後に約二時間ずつの製作時間を設けた。集まったのは七組のご家族、大人が十二名、子どもが十四名である。当社とは取引が無いご家族が三組含まれていた。

 子ども達は、それぞれ自分が加工できない部分を、家族ごとに配された大工に頼み、立ち入り禁止内で手を動かす大工の姿を遠巻きに見ている。大工の手さばきは、さぞ格好の良いものに映ったことだろう。子ども達に聞く、「おとなになったら、なにになりたいの。」即座に、「だいくさん。」期待をする言葉である。傍らで「大工さんって、かっこいいね」とお母さんがつぶやいた。この中から何人が大工になるのだろう。

 建築工事の端材が棚や箱、そして玩具に変わっていく。住まいの空間で使われた吉野の杉や桧とはまた一味違った肌触りを感じ、よろこんで持ち帰っていただいた。

 宣伝と広告で売り込むことは容易であるが、確かな技量や人柄を知ってもらうことは名前を連呼するだけでは伝わらない。工事現場で汗水を流す姿を、傍にいる職人としてお施主様以外にもお見せしたい。次世代の担い手の育成や掘り起こしは継続した家の世話役を再現すると考える。同時に身近にある地域材の良さを分かってもらうことで、地域社会で完結できるしくみが再生できると期待する。